2024-12-02 ”関興寺の味噌なめたか”でおなじみ。魚沼の名刹、臨済宗関興寺。 以前参拝した魚沼市の臨済宗最上山関興寺です。 臨済宗は数ある本山によって流派が細分化されますが、関興寺は鎌倉五山第二位の円覚寺派に属します。1410年に覚翁祖伝和尚が開いた、釈迦牟尼仏を本尊とする寺院です。和尚は上杉謙信でお馴染み、関東管領上杉家の出身です。上杉家と長尾家と深いゆかりのある名刹です。 1578年上杉謙信の亡き後、養子である上杉景勝・長尾景虎両氏による激しい家督争い(御館の乱)が起こります。上杉家に縁の深い関興寺は長尾家側の勢力によって焼き討ちに遭い、大伽藍は焼失。ただ、上杉家より寄進された大般若経典六百巻だけは味噌桶に埋めて戦火から守りました。 それ以降、味噌の功徳を求める参拝者が後を絶たなかったことから「関興寺の味噌なめたか」というフレーズが言い伝えられてきました。同じく魚沼市の名刹、曹洞宗雲洞庵と並べて「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌なめたか」と呼ばれて親しまれてきました。 因みに、本寺と末寺の関係性でいうと雲洞庵は洞泉寺のひいおじいちゃんにあたります。ゆかりがありますが、はるか雲の上の存在です(/・ω・)/ 合掌 #曹洞宗 #洞泉寺 #新潟県 #十日町市 #室野 #魚沼市 #臨済宗 #円覚寺 #鎌倉五山 #関興寺 #関興寺の味噌なめたか #雲洞庵 #雲洞庵の土踏んだか #上杉謙信 #関東管領